今日はなんだか気分が落ち込む日です。
昨日、夫とケンカして、自己嫌悪。
私は自分が思ったことを口に出せなくて、態度に現わしてしまう。
ドアを強く閉めるとか、ムッとした顔になるとか、口数が少なくなるとか。
言葉で、自分の気持ちを現わせないのです。
こういう自分が本当に嫌だ。
なんでイライラしてしまったのか。
ささいなこと。
自分自身が今就職のことで不安定で、何気ない言葉でも癇に障ったのだと思う。
夫がケンカを持ちかけてきたのではない。
夫の言葉、態度を、私がそう理解した。
私を責めている、と。
誰だって怒ることはあるし、不機嫌なこともある。
でも私の場合は、
相手に責められている、
私の言動を非難されている、
など、
被害的に感じることが多い。
私が夫の言動から、そう「解釈」しているにすぎないのだ。
だから夫は私が急に不機嫌になったと思っている。
理由が見当たらない。
それもそうだろう。
全て「私の中」で起こっていることなのだから。
勝手に悪い方に解釈する方が悪い、と、だからと言って何を言ってもいいわけではないけれど。
私の怒りのスイッチが入るとき、
それは、
自分を「ないがしろにされている」と感じるときが多い。
そう自分が勝手に感じ取るのだ。
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「自分に気づく心理学」 加藤諦三 著
今日この本を読み終えた。
この本を読むと、ことごとく私のことを言い当てられているような気がする。
内容の一部に、
『いつも他人から責められているような気がするのはなぜか』
とある。
~本文抜粋~
甘えることを抑圧した結果、それが他人に投影される。つまり他人が自分に実際には何も要求していないし、期待していないし、責めてもいないのに、要求され、期待され、責められているような気持ちになってしまう。
自分は甘ったれだと思うが、ここで言う「甘え」とは、
「自分の本当の心の欲求」を素直に出せているか、
そして、それを受け入れてもらった経験があるか、だ。
自分を愛してあげられないから自分に自信を持てず、
いいこと、人の気にいることをしていないと、人から嫌われると思ってしまう。
自分を他者、外界から常に防衛することに精神を注ぎ込んでいる。
どんな人からも好かれることだけ意識してきたのに、
必ずしも好かれるとは限らない。
当り前なことなのに、それは自分のせいだと思う。
うつになって、それは間違っていることを知った。
自分を好きになることが大事と知った。
もっと自分の心に素直になっていいんだと、初めて知った。
でも長年培ってきたこの気質は、ふとしたところで顔を出す。
長年蓋をしてきた心から、なかなか素直な気持ちが聞き出せない。
他者に依存することが楽で、誰かの支配下のもとに行きたくなる。
自分を苦しめるのに、目の前の蜜に目がくらむ。
しかし、表面上は楽だけれど、心は悲鳴をあげている。
それが不安感や体の不快感になって現れている。
そして、
人から愛情をもらうことには、見返りが必要だと思っていた。
見返りのあるものは、愛情とは言わないのですね。
無償の愛を受け取るのは、嬉しいのに、落ち着かない。
恩を返さないといけない、と思っていたから。
でもそうじゃないんですね。
~本文抜粋~
好かれるということは、何もしてあげなくても、相手は自分に満足しているということ
これを読んで、安堵した。
私も無償の愛情を受け取る権利がある、と。
その縁に感謝をすべきであって、何かを返さなければいけないわけではないのだ。
確かに、私は見返りを求めて夫や家族、友達を愛しているわけじゃない。
無条件なのだ。
ただ、愛しているだけ。
なのに、受け取ることにはためらいがあった。
自分にそんな価値があるのかと感じていたからだ。
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私自身が私の問題を乗り越えないと、夫を、周りの人を傷付けてしまうだろう。
自分を守ることに躍起になって、人を傷つけてしまう。
現に夫を傷つけた。
そのことがどうしようもなく悲しくて、申し訳なくて、自分が嫌になる。
そして結局自分を傷つける。
自分はダメな人間だ、
意識して直そうとして、直るのか?、
など思っているが、
これはうつ的思考回路だ!と、慌てて止める。
このことを知っただけで、進歩としよう。
あとは意識して、依存的で自罰的な思考を回避すること。
ありのままの自分を愛すること。
人が注いでくれる愛情を素直に感じること。
それが大事。
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